や、直接は関係ないけど。2ちゃんねる覗いたんだな。


そこのおまいっ!失礼だろ。どう見たってGauche≠Ooh=oohだろ。俺あんな知識ないよ、まったく。それに文章がぜんぜん違うだろ。あー大蟻食サクヒンの読者としてその読みの能力はどうかと思うなぁなぁなぁ。あとGauche氏はどう読んでも関西臭しないしな。ずーっと前にはここにコメント貰ったし。なによりご本人にお会いになってらっしゃるのだ。僕なんてへなちょこはそのような機会があっても遠慮してしまうに違いないのだ。似ているのはストーカー呼ばわりされた点だけだかんな、等号は使えません。


ちょっと前に、『ドクタードリトル』TVでやってた。内容は知ってたのにぼんやり見ているうちに結構楽しみながら見ている自分に気がついた。でもあれってタネはすごい単純で、ドリトル博士は動物と会話が出来るという一点が鍵なのね。でこちらで日曜の夜中にやってる『トゥルー・コーリング』という三文ドラマがあるんだけどそのことを思い出した。これって死体置き場でバイトしてる女の子が主人公なんですけど、時折、死にたてホヤホヤの死体(大抵善人)が語りかけてくことがあって、その声を聞いたら必ず一日前に戻ってしまうという設定のお話。朝起きると一日戻っているので死ぬはずだった人を助けることが助けようといろいろ走り回るというだけの、すんげー単純な仕組み。


『ドクター・ドリトル』と『トゥルー・コーリング』はどっちも凄いCGとか使う必要はなくて設定だけで話を盛り上げるところが似ているなぁなんて。で、ぼんやり思った。


『バルタザールの遍歴』は一つの肉体に二人の魂が宿っているという一点が鍵。『戦争の法』だってN県が独立して戦争状態が現れるという一点が鍵。『天使』は感覚と呼ばれる超能力がそれ。『博士の愛した数式』だって博士の記憶が80分しか持たないという一点が鍵。昨日やってた『マイノリティ・リポート』は小道具に金かけてるけど要は殺人の予知が出来るという一点のみが鍵。


なんつーか今頃な話ですけど、そんなアホなという設定上の鍵は高々一個までなんだということに思い至ったのです。ないのもあるしね。物語とは違うけど、常識(これも大抵は虚構だってよ)の中にその一点を放り込んで、読者に飲み込ませることに成功すれば、そのことによっていろんな記述の運動や、ストーリの運動(?)が生じるようになるみたい。や、そんだけですけど。や、書いてみると恥ずかしいな、アホまるだしだ。ま、ぷろぐだしいいけどさ。