オチないよ

年のころは60後半。全体がくすんだ濃緑色で所々カーキ色のボーダーが走っていて襟が幅3センチほどの薄茶色のゴムバンドでできているよれよれのジャンパーを着ている。下はよくある紺色のスラックスだが洗濯のしすぎなのか表面が荒れている。足下は若い感じがする一見G.T.HAWKINSのサンダル(\9000)だが良く見るとローカルなスーパーマーケットの出入り口付近においてあるワゴンセールのサンダル(\980)ぽい。髪は少々薄いが、それは禿げているのではなく全体にわたって少し密度が低くなっているだけのもの。所々染めた黒が落ちたグレーの毛が混じっていて洗っていないのか何か整髪料を付けているのか脂でべっとりとしているように見える。顔は『父の祈りを』の父役を演じたピート・ポスルスウェイトにそっくりだが、左の眉尻に直径1センチ弱の大きな黒子がある。ホクロといっても色は肌より少し濃いだけの肌色だし、立体的なので小さなイボと言ったほうが正確かもしれない。場所が眉尻だけにそのホクロからも眉毛が少し生えている。


そんな60親父が。俺の右隣で船を漕いでいる。それもさっきの駅で少なくない数の乗客が乗り込んできたのを見て、人が好いらしいこの親父はスペースを開けるために俺のほうへ詰めてきたので俺との間に殆ど隙間が無い。そんな状況でこの親父は船を漕いでいるのだ。それも左側に、つまり俺のほうに向かってジリジリ、ジリジリと迫ってきて触れる直前にハッと気付いて姿勢を戻す。ジリジリ…ジリジリ…ハッ!これの繰り返し。こっちへ倒れるなよという感じで肩でもちょっとつつけばよいのだろうが、人が好いらしいのでキツクできないし、なにより、そのちょっとした接触さえためらう。なんせ例のジャンパーはもとの色がくすんでいるだけでなくウスヨゴレテいるし、肩にはあの脂たっぷりのフケがムラなくちりばめられているのだ。ジリジリ…ハッ!親父も眠いながらに緊張しているのだろうが俺も気を抜けない。結局それは俺が降りる駅までずっと続いたために最後まで緊張を強いられた。疲れた。


真向かいには50代であろうおばさんが座っている。そのおばさんの顔は化粧ッ気が全くない。どうやらアレルギーがあるようで顔全体が赤くなっているしカサついているのが判る。良く見ると両の手の指の何本かは、その爪の生え際に全く同じ様子で絆創膏が巻いてある。これもアレルギーが原因で逆剥けが酷くなったのだろう。じっと見ていると時々両手の手のひらで顔を洗うような感じで顔をこすっている。痒くても掻いてはいけないのだ。掻くと小さな傷から体液がにじみ出てきて余計に酷くなるから掻いてはいけないのだ。何度かそうやって顔をこすったあと、それでは我慢できなかったのか左右の人差し指でそれぞれの瞼を掻いていた。僕も小さなころはアトピーだったのでいつもどこかが痒かった。特に耳の付け根の上端と下端があかぎれのように自然に切れてしまうことが多く困った。そこはかさぶたが張ることが無く、傷口の部分から体液が滲みだして樹液のように固まるのだが、どうしても指でとってしまう。我慢していても寝ている間にとってしまうのだ。そうするとまた体液が滲んでくる。これの繰り返しは結構なストレスだった。ということなので、そのおばさんの気持ちが全く判らないでもないのだけれど、見ていると苛々してくるのだ。可哀相だなと思いながらもカサついた赤い顔を見るだけで自分まであの痒さがよみがえってくる気がして苛々する。だったら見なければいいのだが、人間の性癖の常で臭いもの汚いもの怖いものといったネガティブなものから顔や目を背けるのは難しい。結局このおばさんも俺が降りる駅までずっと向かいに座っていたために最後まで苛々を強いられた。疲れた。