物をつくるとかさあ

R30たんのところだったかなあ。よく知らないカタカナばっかのエントリがどーのこーのって話。そこのコメントがおもろかった。なんか“自分じゃ物を生み出さないで他人の作った物にケチつけてるだけのやつ嫌い”みたいなやつでこういうのよく読むし聞く。“おめぇニートだろ”とか書いてるのもいたなあ。


そんであーそーだよなとすんなり同意したりすることもあるけど違うよなこれ。物を作るってそりゃ大変だ。それも以前より少しでもいいものを!って思ったらそりゃ猛大変。初心者ならどんどんグングンうまくなって楽しいんだろうけどそこそこ経験も積んでくると少し良くするだけでもすげー努力はいるよな。で、玄人になったりなんかするとコッチの出来が良くなったらこんどはアッチがダメになってたりという感じでトータルでは殆ど良くなってなかったりする。で、達人とかになるとほんのすこし毛ほどの改善のために地獄を見るのかもしれない。


とか考えると“もの作り出すって凄ぇこったよまったくよ”などと思うし、懸命に取り組んでる姿はどうやったって見上げるしかないわけだけど。なにか物を作ってる人が偉い人ってのは違うだろ。いや別にそういう価値観の人がいてもおかしくないけど。何が引っかかるかというと。いやナニが気に入らないかというと殆ど考えることなく“おめー物作ってねーだろダメ人間決定”という人間。はっきしいうとバカ。違うだろ。


物を作ってる人を見て思うのは、楽しそうだなあ(うらやましー)ということ。なかなかうまくいかないときの苦しみも含めて“楽しい”でしょ。でも別にエライ訳ではない。例えば同じ道で物つくりに励んでる人間同士ならそりゃエライ人といってもおかしくない。その道の新人が人間国宝の人なんかの姿みてエライというのはわかる。でも他の世界にいる人間から見れば“エライ”ではない。


確かに、なにか一生懸命やっている人間には惹きつけられるけどそれは何かを生み出しているからではなくて、その生き方だったりする。もし生み出すことが人間のいろんな行為の中で至上のものだとするなら俺は一生母ちゃんに頭があがらねえ。つーかいまだに母ちゃんに腕相撲勝てない。というか世の母親が最強。ま、悪いことではないけど崇めるようなもんでもねぇ。


自身がなにも作らずに誰かの作ったものに悪い評価を下したっておかしいとは思いませんのわたくし。誰も気がつかなかったようなことを指摘する独自の視点があるならその批評自身ある意味作り出したものだとも言えるしな。一種の芸にもなりうるんだし。ナンシー関とか。あのひと別にTVドラマ書いたりしてねーよな(つくってたかな?)。でも凄い。


それにそんな独自の視点なんてご大層なものじゃなくてコロンブスの卵みたいなツッコミだって歓迎するべきものになりうると思うけどなあ。


これと似ているのが代替案だせよおめーというやつね。締め切り決まってるものはそうなんだけども。決まってないことなら代替案なんてなくてもよくってよほほほ。何もやらないという代替案でもよろしくってよ。ろくでもないことやって欲しくなきゃ代わりの案だなんてアン。言わないんならやるぞ!なんて下品な脅しだわ全く躾がなってないのね。という…発散してきたのでまた今度。